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'03 オープン・ド・パリ
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高橋優子の
オープン・ド・パリ日記

1月14日(パリ滞在初日)

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1月18日(大会初日)

1月19日(大会最終日)

1月20日(パリ滞在最終日)

1月18日 五日目

今日の試合は男子組み手、阿部恭久先輩、斉藤祐樹先輩、古梶琢也先輩、井上信太郎、男子形、古川哲也先輩、女子形、若井敦子先輩、阿部夕姫先輩、組み手は女子は私一人だった。9時30分から阿部先輩と斉藤先輩の試合が始まった。阿部先輩はかなり良い動きだった。始まって会場が湧いたのは阿部先輩が初めてだった。会場内が全員阿部先輩に注目している感じがした。斉藤先輩もすごくよかった。見ていて良い突きが入った。でも審判の旗はあがらなかった。まあ私は空手のことはよくわからないので詳しくは『西村誠司のベスト空手ホームページhttp://www.karatedo.co.jp/seiji-nisimura/』のパリ試合結果までアクセス。
 あとは同時進行なのでよくわからないが、信ちゃんは廻し蹴りをもっと警戒すればもう少し試合になったと思う。詳しくは『西村誠司の空手・・』です。私は12時に始まるはずが結局送れて3時半ころになった。赤白の帯と拳サポを国分先輩が貸してくださった。これを使って負けるわけにはいかない。一回戦シード、二回戦不戦勝と戦わずにして三回戦まで上ってしまった。しかも相手はヨーロッパの一流選手、前回の世界大会の団体戦に出たときに負けた、イングランドの選手だった。見た目も良い意味で野性的(この言い方をすると国文先輩に注意されそう)でとにかくおっかない。初めは正直嫌だなと思った。でもここで臆するわけにはいかなかった。何より世界大会の個人戦で成長したという自信があったので、あの時とは違う、今度は負けないと自分に言い聞かせた。しかしピクリとも緊張しない心臓に困った。少し緊張するくらいのほうが頭は冴える。まあ結局リラックスしたままコートに立った。まずは相手に先に取られた。攻めてるときに間合いが正しくないと思い、一本でとどく距離と絞って突いたら入った。西村先生が「ストレートに入ったときはいいよ。」とおっしゃった。相手を崩そう崩そうとして、逆に自分が崩れていた。試合も半ばに入ると突きのタイミングが合ってしまってる気がした。相打ちはヨーロッパ選手に取られる傾向にあるので、今度は蹴ってみようと思った。相手は逆体なので中段の廻し蹴りを狙って出したが、2本とも前にこられて合わされた。相手は下がらないと思ったので今度は前蹴りをぶち込んでやった。当たった瞬間もう何センチか奥に押し込んだ。そしたら怖い顔が微かにゆがんで腹をおさえた。今まで蹴りを極めたなかで一番嬉しかった!延長戦に入った。「前蹴りいいよ」という西村先生の言葉が頭にあった。相手は絶対中段逆突きでくると思ったので、始めがかかり、少し引いてみせて、遠間から思い切ってまた前蹴りだしたらきれいに入った。自分ではバタバタしてしまって恥ずかしい、駄目な試合だったと思ってたら、嘘か本当か西村先生は「大丈夫!相手が見えてるよ!世界大会のときよりいい!」と褒めてくださった。自分は、ここはあれこれ考えずに調子にのってしまうことに決めた。三回戦突破。
 四回戦はどこの国かは憶えてないが綺麗でうまい人だった。これも延長戦の結果勝ち。西村先生のホームページの試合結果には反則ポイントとあったが、自分はすっかり取ったと思っていた。始めがかかった瞬間、いけば勝てる!と思って一気に逆突きをだした。良い突きが入ったと思った。でもこの試合は冷や冷やした。相手の人はやはり19日の-60kg、準優勝した。危ない危ない。四回戦突破。
 五回戦、前回の優勝者で宮本先輩が負けた相手ということをコートに歩いて行くまでの道のりで聞いた。「え?何?そうなの?」と思った瞬間にはもうコートに上がっていた。宮本先輩が「同じタイプでやりにくい。」といってたのを思い出した。まず一発目意表をついて先取した。そのあとはつめてつめてちょっと近いくらいから技をだしていった。途中前蹴り蹴ったら鍛えられないところに当たってしまい反則をもらった。あれは痛かったと思う。終わってみたら4‐0。自分では一番良い試合だった。
 ここまでアップのとき側についていてくれた万記先輩と、試合中も近くについてくださった国分先輩が明日の試合のために岩切先輩や宮本先輩と帰られた。本当にお世話になりました!!みんなに良い報告ができるようにがんばろうと思った。それからはずっと信ちゃんがついていてくれた。決勝が始まった。まったく緊張はしていないかった。相手はトルコ人でかなりでかかった。今思い出してもいったい自分は何で取ろうとしたのか謎で、こうしようとかこれで取ろうとか探っているうちに終わった。倒されても離さなかったとか、当てられても下がらないぞとか、そんなことくらいで何をしたというのが一つもない。最後当てられて、2ポイントと一緒にコンタクトも取れたという苦い思い出だけで終わった。苦い思い出と言えばもう一つ。ドーピングチェックで尿が出ず、水を1.5リットル飲んでも出ないのでトイレの手洗所の水をたっぷり飲まされた。生水は駄目と言われているにもかかわらず、その日の夜も、次の日もその次の日も、一向に腹の痛くなる気配すらなかった。
 形は若井先輩は優勝した。アップで決勝しか見られなかったが、決勝のアーナンはすばらしかった。本当に強い人だと思った。世界大会の時も、朝、緊張で逃げ出したくなったとき若井先輩を思った。若井先輩に比べれば何倍も何百倍も気楽な試合だと思ったら、逃げ出したいと思っている自分を笑ってしまった。それに加えて明るいし優しいし、私もいつかあんな先輩になれればいいなあと思う。それにはまだまだ足りないものが多すぎるので、これからもっと頑張っていかなくてはいけないと思った。