記載者:国分利人
第35周年記念ワシントン州国際空手道選手権大会 in シアトル
期間:2002/5/1-8日(8日間)


西村誠司(ナショナルチーム強化コーチ)
阿倍恭久(北海道代表・空手と車命の男・軽量級)
松元和成夫妻(鹿児島代表・近代工監督の実兄)
藤村卓樹(アジア大会優勝者・会社の応援あり)
国分利人(全日本優勝2回・居眠りの国分)


 成田空港で待ち合わせをして11時になっても藤村君が来ない。「遅いな、どうかしたのかな」と電話してみると「第二ターミナルですよね」と。そうだアジアンエアラインは第二空港だ。すぐに電車で移動して藤村君と合流。しばらくして北海道の阿部君も登場。そのままチェックインしてソウルへ向かう。
  早々に機内へ乗り込むと。日頃の疲れが出てきたのか深い眠りに就く。気がついたら機体はすでに着陸体制になっている。ソウルのドデカイ空港を歩いて数分するとシアトル行きの乗り換え口へ着いた。ここで西村先生と待ち合わせているのだが、まだ先生方が到着していないようなので機内で食事を取り損なった分韓国の「おでんうどん」でお腹を満たす。と、そこに西村先生が登場。これで今回のアメリカシアトル大会参加者が出揃った。
  ご存知西村先生(日本チームナショナルコーチ)、松元和成先輩(松元和昭近大工学監督のお兄さん)と奥様、 藤村君(ナショナルチーム−65キロ級)、阿部恭久くん(全日本大会北海道地区代表選手)の面々。(後で空手ビデオメーカーのチャンプの社長井出さんが合流予定)暫くしてから機内へ乗り込むも、またもや猛烈な睡魔に襲われた。気が付くと、シアトルへの着陸準備が始まっている。本当に良く眠るな〜。と、我ながら感心しつつ入国審査へ。
  自爆テロの影響か入国審査が厳重で入国審査官にいろいろな質問をされるも、流暢なイングリッシュ(片言の?)で脱出、預けていた荷物をとる為にコンベアーの前で立っているとゴツイ警官が「パスポートを見せなさい」と。それを見ていた西村先生を始めメンバーが「顔が怪しいから!」とか言って喜んでいるのを脇目にチェックを済ませエックス線の検査を終えたところ、今度は松元先輩が靴とベルトをはずしてチェックを受けていた。人ごとだとテレビでコントを見ているみたいで少し笑えた。(松元先輩すみません)。
  結局1時間掛かって漸く入国することが出来た。出口に3人の出迎えの方が来ていた。1人はアメリカ連盟の会長でジュリアスさん 。(よくジョークを言う楽しい方です)続いては小柄で色々と手配などをしていただいた荒井さん素敵な女性です。2つの会社を経営しているというパニンスキーさん(やり手なハンサムガイ!という感じ)と一緒にジュリアス会長の車に乗せていただきホテルまで15分間程で到着(途中シアトルの話しを聞きながら)。ホテルに着くと中庭のある素敵な作りに驚いた。早速部屋に入り(西村先生と同室)荷物整理をしていると三度睡魔が・・・。吸い込まれるようにフカフカのベットに潜り込むと(サイコウ!)気が付いたら集合の時間を5分過ぎていた。(西村先生もつられて寝入ってしまった様子)急いで着替えて会長とディナー。
  ホテルから近くのショッピングモールにあるステーキハウスでアメリカンサイズのサラダ、ステーキ、デザートなどを食べながら楽しい一時を過ごしました。会長曰くアメリカでも空手の文化<押忍>とか武道としての空手をしっかりと伝えてゆきたいということでした。特に<オス>は世界どこに行っても空手をやっている人には共通の言葉だから大切にして行きたいということでした。今日本では逆に<オス>を使わない傾向にあるので私も少し考えさせられた。会長は日本の先生が<オス>に代表される日本の文化、武道としての空手をしっかり教えていただきたいし我々も武道としての空手を指導、普及してゆきたいと言われていました。また会長は日本の生徒は先生の言うことは絶対視して素直に聞く。確かにアメリカの生徒は「それはなぜ、どうして」と質問してくるが理由をしっかり説明すればついて来るので型の指導をするときなども分解の動作などを入れて説明するようにしているとの事でした。
  会長やパニンスキーさんと話していて感じたことは海外の先生方は日本の監督、コーチ、選手の事をよく見ているので日本選手団として恥ずかしくない態度と行動を心がけるべきということを改めて痛感しました。(本人はあまり気にしていないようなちょっとした失敗もよく見られていて話題に上っていたので。それだけ空手母国の責任が重いと言う事だと思います)。
  ホテルに戻ってから松元先輩の部屋に集まって座談会が始まった。空手界がメジャーになるためにとか、今後の空手界発展の為になにが大切なのかなどが話題に。海外に来てアメリカの空手環境や海外の空手界と日本を比較してなど夜遅くまで話しに花が咲きました。その後解散。時差の為か(昼間寝すぎとの説も)なかなか寝付けずシアトルの5時20分にようやく眠りに就く。


 さすがに1時間ぐらい寝てから西村先生と朝食をとりに中庭のレストランに行く。1時間ほど食事をしながら空手界の課題やこれからについて話しをした。西村先生は世界各地の空手事情をよく知っているので話しを聞いてもとても為になる。組織論、技術論など総合的にこれからの空手界に活かして欲しい内容が満載(ホームページで公開したりしているので興味のある方はチェックしてみてください)食事の後半に阿部君が登場。もう食事がなくドーナッツをガバッと取ってきた。朝からドーナッツとはアメリカらしい。食事を終えて準備をしてから道場へ。昔、西村先生がシアトルに滞在していたときにお世話になっていたという道場だ。荒井順子さん(道場のインストラクターでアメリカ代表として世界大会でも入賞しているシワシントン空手協会の代表選手)が車で道場まで送ってくれた。道場は約1面が取れるくらいの広さで会員が120名程いるそうだ。会費は月に125ドル(何回来ても良いそうで家族割引があるそうです)同じ系列の道場がワシントンに5軒あるそうです。
  西村先生の号令でアップその場基本、移動基本を終え組手と型に分かれて練習。突き技、蹴り技のバリエーション練習を終えて最後に松元先輩の型演武。約2時間の練習を終えて一度ホテルに帰って着替えてから観光に出かけた。シアトルの市場へ出かけた。観光客にお土産を売っている小さなお店が密集している場所を散策した。カラマリというイカのから揚げ料理がおいしいということで市場のレストランで食事をしてからショッピンググループと散歩グループに分かれた。私達はホテルへ。ホテルに着きのんびりとした。


 翌朝は順子さんが迎えに来てくれて道場まで移動しました。約2時間の軽めの練習を終えてホテルへ戻り昼食。各自自由時間で6時に迎えが来て   にてWKAの35周年記念パーティーがあり我々も参加しました。会場はシアトルでもっとも古い会員制のクラブ、リニアクラブでとても立派なところでした。10時ごろに式が終わりホテルに戻り明日の大会に備える。


 朝10時半集合でその前にホテルで朝食を取る。車で会場まで送ってもらい会場入り。
  会場は大学の施設の中にある体育館で6面のコートで子供たちの大会が行われていた。日本の大会よりも細かいカテゴリーに分けられていて出来るだけ入賞出来るように工夫されているようだ。子供たちの試合が終わり少しずつ一般らしきクラスの試合が始まってゆく。かなり年配の方と思われる方々が試合に参加して組手をしていた。50歳前後の方だろうか。また棒術の試合、ヌンチャクの試合なども行われていて日本との違いを感じた。こちらは棒術などもはやっているそうで私も機会があれば一度やってみたいなと思った。
  我々の試合がだんだん近づいてきた。まず始めに団体組手ということで藤村、阿部、国分でアメリカの選手とのエキシビジョンマッチが始まった。先鋒は藤村君。最初は少々硬かったが力の差を見せつけ圧勝、中堅、阿部君は海外試合2回目とは思えぬ良い動きで8−0の圧勝。最後を大将が勝ってシメたいところだったが不覚にも倒されてからの突きなどを食らってしまい5−2で落としてしまった。残念だったがチームは勝って会場も大いに沸いた。
  その後は松元先輩の形試合でこれも新ルールでのフラッグ形式で行われた。初戦バッサイ大で勝利、決勝は五十四歩で見事優勝。しばらく間が空いてから軽量級の試合が始まった。当初マイナス六十キロ級とマイナス六十五キロ級で阿部、藤村両選手がエントリーしていたが参加者のカテゴリーの関係で一緒に行われる事になった。準決勝で両者があたり藤村君の勝利、決勝でも波に乗り優勝。阿部君も敗者復活で3位入賞を果たす。
 重量級は決勝で先ほどの団体戦の対戦と同じくアリ選手と私の対戦。雪辱をと思ったがどうしても追い込んでからの技が出ず二位に。大会は試合が終わるとすぐにそのコートで表彰を済ませ解散。日本風の終わりにやる解散式は無し。大会が終わり役員と共に日本食レストランへ。先生方と会食をして楽しい一時を過ごす。そのままスピルバーグのプロデュースしたというゲームセンターにつれていってもらう。


 今日は西村先生のセミナーグループと観光グループに分かれた。夕方合流して滞在中お世話になった荒井さんの家に。アメリカの平均的と謙遜する家をみて一同ため息をつく。とても素敵なお宅だった。キッチン、リビング、廊下どれを取ってもうらやましい限りだ。その後、荒井さんの案内でシーフード(中華)を御馳走になる。えび、ミルガイ、カニなど普段日本で食べないような豪華な食事。本当にお世話になりっぱなしだ。


 とてもお世話になった会長と荒井さんが空港まで送ってくださいました。本当に皆さんにお世話になりっぱなしの一週間でした。ワシントン州の皆さんには本当に感謝しています。私自身海外で試合を行ったり、現地の方々と交流を持つということはとても為になるので、そういう機会を作って日本の皆さんに案内し参加出来るようにしたいなと思っています。