パナマ・ペルー・トリニダードトバコ ・ドイツ・アメリカ5ヶ国指導の旅
 2001/7/13-8/12 31日間

今回の海外レポートは日誌風に写真を添えて作成してみました。

7月13日(金)曇り  第四回東京女子世界大会応援
前日福岡大学空手道部の前期打上を兼ねて、「スタミナ太郎」で部員と送別会を行う。部員もここずいぶんと長く休んでなかったので、良い休養となったのでは。その後自宅にて、余り眠らずに朝方から荷物作りを行った。一ヶ月間と長いのでずいぶんと色々な事に手間が掛かった。14:15分の飛行機に乗る。今回は第4回東京女子世界大会が代々木体育館にて週末あるのでコーチとして応援して、16日から海外へ旅立つこととなった。池袋のサンシャインホテルに24ヶ国の参加があって、多くの知り合いが来ていた。女子選手も元気がいい、福岡大学の佐藤博香は相変わらず笑っている。コーチ陣で夕食となったが、今夜は香川コーチがサウナに入り体調万全なのか、乗りがよい、津山先生が黙ってしまうほどであった。津山先生は他人の酔っぱらいは嫌いなのだろう。こちらとしては大変面白い現象である。中山と山田コーチが捕まってカラオケに行った。小生は中橋先生と会いたくて電話したが部屋にいないようなので、マッサージして貰う。少し風邪気味なので早く寝る。23:00就寝。

7月14日(土)晴れ・湿度温度高し
8:30ホテル地下レストラン朝食。本当に東京は暑く、代々木体育館まで行くのに汗だくとなった。これでは選手もバテルだろう。今回も体育館には関係者以外の応援はないようだ。空手道関係者もスポーツとして進んで行くからには、観客のことも考えた運営を行うべきで、将来的に中田とかイチロウのような選手を排出するスポーツ団体にならなければと思う。日本選手団良く戦ったが、笹・藤岡が3位、準優勝に宮本・本間、何と女子団体形はスペインに負け、敗者復活戦でもマレーシアに負けてしまった。決勝戦ではスペインの分解組手はよく考えて素晴らしいものであった。新人チームの日本女子では無理と思えた。ホテルに帰りミーティングする。日本選手の不足点は中段突きが極めになく、上段の打ち合いで負けている。また、しつこい連続攻撃がないと言うことである。女子担当の山田ゆかりコーチがくやし泣きしたので選手団の中に明日こそはとの気合いが入ったことだろう。期待したい。食事をして、前田監督から佐野君が応援に来ていて、久しぶりに会い歓談。前田監督が楽しく飲めたと言っていてワイワイやっていた。すぐに就寝。

7月15日(日)晴れ、今日も暑し。
7:30朝食。8:00代々木体育館へ電車で移動。今日は佐藤博香の出番なので最初からサポートする。山本、香川応援コーチは、練習会場で汗を選手と流し、ムードを盛り上げる。平田が顔面にパンチを受けて、テンカウントを意識して立ち上がるが、危険と見て前田監督が試合放棄させる。その後、救急車を呼び担架で運ばれる。脳には異常なかったが、目の周りの骨にヒビが入っていたようだ。良く最後まで頑張ったと思う。早く復帰して貰いたい。佐藤の出番である。一回戦、二回戦と堅さがあるが無難に乗り切る。ベスト8迄来てでかい相手と戦う。5-3とリードしてあと4秒となったときである。相手の投げを喰らい、逆転負けを喫した。主審はノーマ・フォスター(カナダ)さんがやっており、止めのコールをしたので抗議したが受け容れられない。何にしても最後に負けたのは確かなので、まだまだ甘い佐藤の精神を叱る。これをバネにしてワールドゲームズでは頑張って貰いたい。ルール違反は違反として大会審判長に抗議文を提出。事情聴衆の上ノーマ主審を注意の上、取り下げを要求される。確たる証拠が無い場合取り下げとなるようだ。次回はビデオ班の用意もしたいと思う。最後にダークホースの渋江がオープンで優勝する。個人形は上位独占で金メダルを取れたので、昨日の鬱憤も晴れ何とか安堵した次第です。さよならパーティーも例年に比べ、質素になっていたようだ。どの外国での開会式・パーティーもそうだが、選手主体の運営を行って楽しいのだが、日本ばかりはお偉方が喋り、選手はうんざりしているようだ。開会式ももう少し考えてオリンピック風にすればいいのにと思う。最後に選手と前田監督で腹が減ったと言うので、池袋の町に出ていき、手打ちラーメン屋で打上をする。量が多くておいしいラーメンだった。前田監督も自腹で支払ったようで、全日本監督も大変である。明日は夕方、成田に行けばいいので飲もうと思ったら、前田先輩の方がつぶれてしまった。ホテルのバーにて津山弟先生と香川、山本コーチが飲んでいて歓談する。1:00になり解散。就寝。

7月16日(月)晴れ
8:30閉団式。急遽、蓮見専務が参加するというので、私服から制服に着替えて降りると、遅刻した。
食事して12:20分発の成田行きリムジンバスに乗る。大会結果をみんなにメールしようと試みるが、なかなか通じない。成田に行き公衆電話からやっと繋がった。
15:45集合すると、岩田源三氏、阿部圭吾先生、荒川先生、永木先生揃っていた。若手の源三さんとはメキシコのモンテレーにて村山先生に呼ばれ気心が、分かった仲なので、少しは気が楽である。阿部先生と永木先生は師弟の間とのことで、偉く気を使っておとなしい人である。帝京に行っている岡山山陽高校出身のナショナルチームメンバー永木君のお父さんとのことである。また、なんとのんべの荒川先生が全然飲まないのである。体調もあるが医者から止められたらしい。自分では止めたと行っているが、止められるものではない。今までの飲み過ぎが今になってきているのだろう。少しやせたようなので気を付けて貰いたい。海外指導も大丈夫だろうか?言葉遣いも少しおとなしくなって、いつもの毒舌が出ない。逆にしかられていたほうがいつものペースなので落ち着かない。

16:50発のシアトル経由マイアミ行きに乗る。ビジネスクラスなので楽なのだが、以前の英国空港のフルフラットシートに比べれば、やはり熟睡できない。人間は一度良いものを味わうと元に戻れないのか贅沢なものだ。ビジネスクラスでも感謝しなければ。
9時間掛けてシアトルに着く。アメリカンラウンジにてアメリカ在住の友人新井さんに電話する。アメリカは市内電話はなんとただなのである。アメリカは偉い!!新井さんの旦那さんが出て、全米大会で娘の順子ちゃんが形・組手共に優勝とのことでした。福大に来たアリーのことを聞いたがまだ報告が来ていないとのことで、残念である。次に6時間掛けてマイアミへ。マイアミ空港のマイアミ国際ホテルにチェックイン。
22:00と遅かったが全員で乾杯する。カラマリとクラブケーキを頼みビール二杯で酔ってきた。何とか喉風邪も収まってきたようで、念のため薬と栄養ドリンクで寝る。国際ローミングを試すと何とか繋がり、一安心。1:30就寝。



7月17日(火)曇りのような晴れ
マイアミは晴れているかと思えばすぐに灰色の空になり、ころころ変わる。こちらも暑い。空港から出ないので分からないが。午前中にホテルのサウナに入り、汗を流す。新しく空港で購入した湯沸かし器を使い、カレーを食べる。

12:00ホテルチェックアウト。出国手続きを済ませ、レストランにて昼食。みんなおとなしい性格の先生ばかりか、喋らない。荒川先生もジョークを言う性格ではないので、打ち溶けるまでに時間が掛かりそうである。ラウンジにて絵日誌を付ける。

16:50発AA917便ペルー国リマ行きに乗る。ビジネスクラスだと待ち時間もラウンジで飲み放題なので、少しアルコール中毒のようになってきた。まだ荒川先生が参加しないので普段より楽であるが。リマ国際空港で荒川先生だけが荷物審査をするランプが点き、長い間調べられた。おもしろいシステムである。10人に一度ぐらいの確立だろうか?本人がボタンを押すのでドキドキものであった。ペルー日本大使館の岩島氏、高杉氏が出迎えてくれ、ホテルへ。割りと良いホテルで、小生は5Fにあるのだが、いちいちエレベーターの鍵を使わないと行けないようになっていて、あとの先生は皆さん階下の部屋なので気持ち良いではないか。

23:00に着いたので、打ち合わせして寝る。福大の梶本にメールして見るが出来たので一安心。林 晃君から新潟への指導依頼が来ていた。相変わらず笑ってしまうようなFAXであった。荷物を解きアッという間に2:30になったので寝る。

7月18日(水)曇りのち晴れ曇り
7:00起床のベルが鳴る。眠たいが仕様がない。
午前中はオリンピック委員会・スポーツ省と表敬訪問が続いた。それにしても13度ぐらいなので肌寒い。大使館員の岩島君に汚れた服の洗濯を頼む。男独り身だというのでお願いする。他の先生方は自分で洗っていることだろう。経験者の知恵である。

午後は日本大使館に行き、昼食会でお呼ばれをした。5年前ペルーに来たときはテロ事件のあった青木大使が居て、接待を受けたのだが、あの事件後取り壊されたとのことである。青木大使も今はアフリカの大使として頑張っているとのことである。現在は藤森大統領横領事件が解決せず、ペルー人による抗議が未だに続いており、新しい公邸も要塞のように厳重に造ってあった。写真などは壁側を撮らないでくれと警護の方に言われたくらいだ。藤森問題に嗣ぎ、以前の日本ペルー大使大使が日本に帰化したので、共謀して行ったとペルーでは一発触発の状態である。余り居心地が良くないような大使館員の話だった。現地のアルコール度の強いサワーみたいなのをたくさん飲まされ、酔ってしまった。

ホテルに帰り熟睡。午後は日本人文化会の招きで、資料館とか見学後、夕食を頂く。100年前に移住し頑張ってきた記録を見て、大変だったろうなと思う。それに比べ息子誠太がニュージーランド高校留学で苦労していると言っても、とんでもない話だ。ペルー日系人の現在は3-4世の時代で片言の日本語がおかしい。
10:30帰宅。メールを打つ。少し風邪が良くなってきたようだ。明日の演武会は頑張ろう。

7月20日(金)またまた曇り
午前中始めての市内観光に行く。本当はアスカの地上絵とかマピュピチュ(空中都市)などを見たかったのだが時間不足で写真しか見られなかったのが残念である。天野博物館という天野博士が開いた個人博物館で、案内の旨いガイドさんのお陰で、インカ帝国の歴史を勉強した。日本よりも1000年も前に着物文化が発達していて素晴らしい編み物図柄がたくさん合って、それも一般庶民の持ち物から多く出ているアチャカ文化は素晴らしいの一言であった。土器がおおく出ており、それも全て酒器関係なのが優雅である。
午後はペルー国家警察幹部養成学校にて800名の幹部候補生の前でデモンストレーションを行う。拍手も訓練されているのか、大受けだった。大統領就任式がありパレードの訓練が在っていて、さすがペルーのエリート達の動きはきびきびとしたものだった。

18:00-19:00空手道連盟の選手指導(ジュニア)、19:00-20:00有段者クラスを行う。どこの国でも子供達のかわいい仕草は良いものだ。有段者も割りと良い動きをしていて、鍛えればものになる選手も見受けられた。小生の蹴りと崩し指導では、拍手があり時間になっても不足していたのか明日も来てくれなどと歓声が上がっていた。流派としては松濤館が多く、糸東流、剛柔流と続き、和道流は少ない。日本文化会館にて手配の悪い大使館員の薦めで日本食を食べるが、全然おいしくない。明日早いので10:00ホテルに帰り、荷造りをする。02:00就寝。

日本の友人送ったメール

ー国の感想文「成田からシアトル・マイアミと乗り換えてペルー国はリマ市に到着し、昨日無事に日秘文化会館ホールにて1000人を越える日系人の前で演武会が大盛況のうち第一回目が終わりました。ここリマ市ではフジモリ前大統領汚職事件に絡み、日本ペルー大使の帰化問題で国民の抗議運動が連日あり、緊迫した状態です。日本公邸は要塞のように守りが堅く、機関銃所持兼備員に守られて居ます。そんな中の国際交流演武会で少しでもペルーとの架け橋になればと思います。
さて、リマの歴史ですが、1535年インカ帝国征服者であるスペイン人フランシスコ・ピサロによって建設されて以来、首都として五世紀の歴史を有する。ピサロはこの地を当時のスペイン国王カルロス五世に因んで「王の国」と名付けたが、近くを流れるリマック川が訛った「リマ」と言う名称が住民の間に広まったと言われている。その後286年間の植民地支配から1821年アルゼンチン人ホセ・デ・サンマルティン将軍によって解放された。インカ帝国の中には織物が日本と非常に共通したところがあり、日本よりも古い歴史があり、古代人は優雅な生活がしていたことに感動します。
また、アスカの地上絵(宇宙人制作?)、空中都市マピュビチュなど興味深いものがあり、もう少し居て見てみたいものです。」



7月21日(土)いつも曇り
04:00モーニングコール在り。眠たいがリマ国際空港へ。以外と数多くの客がうごめいていた。

07:03発マイアミ国際空港へ。(5時間)リマから直接パナマへ行く現地便が在るのだが、良く落ちたり、飛ばなかったりするとのことで安全なアメリカンエアーにしたとのこと。それてにしたも今回の旅行だけでも5回もマイアミにトランジットするので、詳しくなるのでは。ビジネスクラスなので旅行会社のラウンジでゆっくり出来るので、ずいぶん気が楽だが。飲み放題なのでアル中になりそうだ。

17:00AA977便にてパナマへ。(3時間)掛けて出ていく寸前、ダブルブッキングでトラブル発生一時間も待たせられる。小生の隣の客は同じ席番号の客が出てきて移ってくれて言われ、抗議して移らないし、マナーの国らしくなくアメリカも駄目だと思ってしまう。スチュワーデスは態度がでかいし(ビジネスだとずいぶん違う)。パナマ国パナマシティーに到着。日本大使館の平井・新井両名が迎えに来ていた。今回は少し気が利くと良いが。ホテルに付き本日は寝てなかったので、荷物を解きメールを見る。六歳の息子拳が肺炎気味だとのこと。心配だ。頑張れ拳ちゃん。早速激励のメールしよう。



7月22日(日)曇り
珍しく昨日の深夜から腹痛が起こった。下痢ぎみで何度もトイレに行く。通常トイレに行くと直るのだが、差込というか腹痛がする。何か変な物食ったろうか?

10:00の会場視察・打ち合わせは遠慮させて貰い、寝て過ごす。

15:00ロベルト・ディラン体育館にて演武会。松井臨時代理大使、体育庁長官、空手道連盟会長挨拶のあと、地元空手チームのデモンストレーションがあり、日本側の形演武、岩田先生の分解組手の相手をするが、腹痛している小生に容赦なく腹部への踵蹴りを極めてくれた。ちびったかとおもう。
その後は各団体ごとに別れ、指導する。小生のクラスが一番多く、今回も蹴りを中心に指導するが、ペルーより技術的なものは落ちるかもしれない。ペルーと違い約半分ほどが黒人で占められている。やはり松濤館が多かった。世界中にこれだけの松濤館の種をまかれた中山先生は素晴らしいものである。空手団体としては世界一だろう。我が和道流は少ないので頑張って普及させたいものである。

19:30中華料理屋に行く。割りと旨いところだった。阿部先生が今日は良く喋ったようだ。それにしても永木先生もおとなしい方だ。ほとんど喋らない。岩田先生が遊びに出たくて、誘ってきたが、腹痛でそれどころではない。おとなしく寝て直そう。
21:00ホテルにて日誌を書く


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