7月23日(月)晴れ
今日はよく寝た。10時間寝た勘定である。腹痛も収まってきた感じだが、大事をとって昼食には行かず、ホテルのトレーニングルームにてウエイトを行う。しばらくやってないと調子が狂うし、肩こりがしてくる。ホテルのトレーニング器材は大したことはなかったが、スチームサウナが良かったし、マッサージ師が大変旨かった。これで40$なら日本のホテルマッサージは詐欺師である。15:20ロベルト・ディラン体育館に行き、18:00迄指導する。約200名の参加だつた。やはり、余り上手は言えなく、集中して聞こうという選手が見受けられなかった。日本人指導者の居ない国のレベルなのかと思う。夕食は松井臨時代理大使より肉料理レストランにてご馳走になる。パナマ壱の肉の旨い店だそうで、ニンニクをたっぷりと効かせて食べる。なるほど旨い。久しぶりに肉を食べた気分だ。しかし、翌日は臭いだろうと思う。現地生活20年という通訳の久保さんから、色々歴史を伺った。スペイン人が進入したとき、現地インディオが何気なくたくさんある金をお土産にしたところ、これはすごいとなりスペイン人の侵略が始まったとのことで、そのままお土産を渡さず通過させておけば歴史が変わったと言っていた。パナマ運河にしても最初はスエズ運河を造ったフランスの技師が乗り込んだところ、蚊による疫病がはやり、たくさんの死人が出て倒産し米国が取って代わったとのこと。最初に始めたことは駆除工事からだとのことだった。3億8000万ドル、10年の工事だが、通過料で十分な利益をもたらし、1992年にパナマに返還されたとのこと。明日は観光なので楽しみである。
02:00就寝。

7月24日(火)曇り
午前中に飲茶を食べに行くとのことで、小生はウエイトトレーニングに精を出す。昨日のニンニクが効いて、ムンムンするが、発散する相手もおらず、スチームサウナで汗が出たら、さっぱりした。午後からまず運河歴史館に行く。立ち上げから完成、引き渡しまで勉強になった。10?、16?合計26?の落差を2段階に分け、徐々に水位を落としていくシステムで、通過するのに一隻24時間ほど掛かるとのこと。一日38隻通過できるとのことであった。アフリカ大陸を大回りすることなく行けるのでずいぶん燃料と時間の節約になるのだろう。80年前に作ったにしてはすごいものである。その後現地お土産店に行くが、パナマ帽ぐらいしか気に入るものがなく、荒川団中はゴルフ仲間に15個ぐらい買っていた。以前の店との帽子のサイズをぶつぶつ言っていた。夕食は大使館館勢と中華料理屋に行く。一人あたり45ドルも払う高級店だが、確かに旨かった。この店に3日連続飲茶を食べに来ている阿部、荒川、永木、岩田チームの気持ちが少し分かったような気がする。ホテルに帰り、荷物を整理する。アメリカの新井さんよりメールが入り、ニューヨークアルバニーの指導あと、シアトルでの指導だったが、夏休みで生徒が集まらないので、そのまま帰国してくれないかとのテアリー会長の伝言を聞いた。急なことでもあるが、荒木さんにフライト変更の件をお願いする。うまくいけばいいが。
日本の友人に送った感想文
パナマは1513年に入植が始まり、17世紀末イギリスの海賊、ヘンリー・モーガンらによって徹底的に破壊された。1903年米国の後押しを受けて独立する。パナマと言えばパナマ運河である。1914年人類史上最大の土木工事と言われたもので、米国が3億8700万ドルの巨費と10年の歳月を費やして完成した全長約80?、最小水路幅150?の水門式運河である。一日平均37隻通過船舶数がある。この完成によって多くの利益が米国にもたらされた。ここパナマ日本大使館主催の演武会&指導も500名の参加を得て、一回目が盛況のうち終わりました。ペルーと違い、貧富の差があるようで黒人が多く褐色の肌の人種であり、空手にしても歴史が浅く硬い動きですが、熱心に受講してくれ、汗だくでした。町は治安が悪いので(強盗等の犯罪)小銭しか持ち歩かないようにしていまが、ブラジルでは日本チームがピストル強盗にあったこともあります。撃たれないことを祈りながら次回トリニダードトバコより報告します。ご自愛下さい。

7月25日(水)晴れ
朝からサウナに入り、今日は運動が出来ない分汗を流す。ここのスチームサウナは短時間でずいぶん汗が出る。自宅に欲しいくらいだ。さっぱりしたところで11:00ホテルチェックアウト。13:58発のマイアミ行きに乗る。マイアミも今回3回目なので道に迷わず、アメリカン航空ラウンジに行く。ここのラウンジはケチで2杯分しか、無料チケットをくれないのだ。JALラウンジは何でもあるのにちょっとへんじゃないの。
岩田先生とぶつぶつ言っていたら時間になり、19:25分発のトリニダード・トバコ行きに乗る。5時間のフライトで15年ほど前に行った事がある印象の良い国へ。23:20着。日本大使館の小島氏が迎えに来ていた。遅かったので寡黙になりホテルへ。着いたホテルがとんでもないところで、蛇口からは黄色のお湯がでるし、隣の岩田先生の音とタバコのにおいまで臭ってくるような最低の部屋だったのでがっくりする。以前の素晴らしいトリニダードトバコの思い出はどこへやら。それでも寝る。02:00。

7月26日(木)曇りのち晴れ
08:00朝食。7階の眺めの良いレストランで食べるが、以前のイメージがなく汚い海だった。夕日が染まる水平線の国はどこへやら。10:00日本大使館にて山岸特命全権大使に表敬訪問する。ここは8ヶ国ほど担当して居て、日本に帰国命令が出て、もの凄く挨拶回りで忙しいとのこと。機密費問題はさすがに口に出さなかったがずいぶん、肩身が狭い思いをしていると小島氏も言っていた。ここの国の歴史、人肉人種のカリブ人から始まり、スペイン人の侵略、そしてイギリス人の砂糖産出国としての植民地政策、アフリカ黒人の奴隷解放に着き、インド人の雇用でここには半々の黒人、インド人が居ることなど大変勉強になった。150万人の人口の中40人しか日本人は居ないとのこと。町随一の展望台まで行き、全体を見渡す。余り海は綺麗でないようだ。昼食はアフリカ料理を出すレストランに行くが、余り旨くない。スコールが突然来て土砂降りだった。15:30演武会及び形指導。演武としては今日が最後なので、気合いが入る。出来としては最高だったと思うが、荒川先生が一本目の投げられ方が悪いと怒られる。今日は畳がなく、板張りだったのでかばったのを怒られた。投げられ役も大変である。観客500名で空手受講者は300名程であった。新聞に出て宣伝した割りには大したことはなかった。19:00日本大使館によるセレモニーパーティーがヒルトンホテルで行われたが、素晴らしいホテルだった。パーティーは立食程度の軽いパーティーで山岸全権大使がお出迎えして、ワイワイやったら終わりだった。しかし、トリニダード・トバコは美人が居ない。ちなみに美人の中南米産地国はキューバ・コロンビア・コスタニカの3Cだそうだ。岩田先生がキューバ人の奥さんを持っているので自慢していた。22:00ホテルに帰るが阿部先生グループは、腹が減ったとのことでレストランに向かう。小生は減量もあり、我慢して日誌に向かう。23:00就寝。

7月27日(金)晴れ
10:00予定では自然国立公園の観光を中止して、ダウンタウンの見学となった。たぶん荒川・阿部両先生が鳥やウサギを見てなんになると急遽変更にしたものであろう。余人では伺いしれないミステリアスゾーンがあると思える。気を取り直して市場に行く。何にもなかった。ダウンタウンの町中に出てみると、驚いたことに全くの黒人の町であり、これほど白人・黄色人種が全く居ない町も始めてである。レゲェ・ラップ音楽が飛び交う町中を歩き回った。本当は荒川先生が迷子になったので探し回ったのだが。諦めて帰ると何とバスの近くに居られた。文句を言ったら初めから集合場所は聞いていたじゃないと涼しげだった。相変わらず素晴らしい答えだった。昼食に中華料理。阿部先生が好きなので近頃いつもなんちゅうかだ。午後は岩田先生とホテルのプールで一休み。16:30−19:00空手道連盟指導。国際大会での戦い方を教えてくれと言った割りには、集中力がない。数人以外は指導者なのか動きが良くないのは良いが、手を抜く。南国得有の明日がまたくる精神だろうか。熱心ではないようだ。のんびりしていると言ったらいいのかこれでは勝てないだろう。参事官と夕食はまた中華だった。機密費事件で厳しいのか奢っては貰えなかったが、外務省の人間は怠慢の一言につきる。どこでも、大使館の人間は少数を覗いては親方日の丸精神が丸見えで、馬鹿ばっかりだ。先生方全員も呆れることが多かった。日本大使館は日本の顔なのだから、しっかりして貰いたいと思う。一度商社勤務を義務付けたら良いと思う。先生方と最後の別れを惜しむ。岩田先生がラオ酒を飲んでご機嫌で、離れがたくなっていた。部屋に帰り荷支度。01:00就寝。

日本の友人に送った感想文

拝啓、まだまだ暑さが続いている日本のようです。夏バテに気をつけましょう。国際交流基金派遣での最後の訪問国トリニダード・トバコよりご報告いたします。この島の歴史は元々アワクワ人という現地人がいて、それを人肉人種のカリブ人が、滅ぼし、威張っていたところ、スペイン人が1757年に入植し、やっつけられた。港湾建設に適した地理的条件を理由に、ポート・オブ・スペインと命名された。現在ではカリブ人として生き残っているのは保護地域に指定されている国2ヶ国だけとこれもスペイン人によって全滅に近い。1797年イギリス領となった原因は、トリニダードの生産する砂糖が欲しかったためと思われる。有名なカリブの海賊は、イギリスが後押ししてやらせていたために、長い間暗躍していたようです。イギリスも汚いですね。1976年に独立すると奴隷制度を廃止したため、アフリカ黒人が山に逃げたので、仕方なくインド人をこき使うために、契約で呼び寄せました。今ではインド人、黒人が半々の国になっています。こんな歴史がありながらのどかなのんびりとした国柄です。今日、無事に500名の参加の元、演武会も終了し、水平線にオレンジ色に燃えながら沈む夕日を望み、感動の涙を流しているところです。次は、ドイツ国はラベンスブルグ市のサマーキャンプからご報告申し上げます。
ご自愛下さい。

福岡大学 監督 西村誠司


7月28日(土)晴れ
09:00ホテル発。岩田先生より置き手紙を頂き、永木先生が見送ってくれた。日本大使館の木下君が送ってくれる。木下君は外務省の出来の悪さを盛んに喋り将来は、アメリカの大学院に進みたいとのこと。ずいぶんと田中真喜子外務大臣の影響がこんなところまで来ているようだ。11:30マイアミ行きに乗り5時間のフライトでスイスエアーラインに乗り替える。9時間のフライトでチューリッヒに着くが、初めてビジネスクラスの良さが分かった。エコノミークラスで9時間も乗ると腰が痛いこと。人間は贅沢にすぐ慣れる動物である。マイアミ空港から女房の真理子の携帯に電話してみる。寝ぼけ眼で電話に出たので何時かと聞くと朝の4時とのこと。失礼しました。約7分ぐらいだったが色々話す。末っ子の拳がまだ体調優れずにどこへも出ていって居ないとのこと。早く良くなってくれればよいが。。長男誠太が生活費がなくなったのとのことで電話があったそうだ。出口先生から貰うようメールを入れよう。

7月29日(日)晴れ
さて、無事に08:15チューリッヒ空港に着く。何とスーツケースが届いてないのである。問い合わせたらマイアミにまだあるとのこと。なんちゅうこっちゃ!!乗り換えの時間がなかったとのこと。どうしてくれると言ったら明日の午後、ホテルへ届けるとのこと。
それまでこれで我慢してくれといって一泊セット詰め合わせをくれた。馬鹿たれ。山口先生、藤野君ずいぶん待たせて合流する。シギー先生が迎えに来てくれた。再会を喜ぶ。2時間のドライブでKJCスポーツセンターへ。グンター先生と再会。相変わらず元気だった。今年はエジプトチームが29人も来たり、タイボウのチームが来て、400名のチケット売り切れで改めて、人気のすごさが分かった。空手より高い450マルク(¥27,000)でこうだ。グンター先生が空手ももっと高く取れても良いと愚痴っていた。2時間ほど昼寝にして町中を案内する。いつも平然と車を渡されて、乗りこなしているが、考えたら国際免許証がないのに良いのだろうか?21:00指導者懇談会。おいしい中華料理店で世界空手連合会長のアントニオ・エスピノス氏もわざわざ来ており、例年のごとくメンバーが集まり楽しい再会となった。ウルフギャング・ワーカー先生ガビー夫妻も元気だ。相変わらず気の強そうな奥さんである。24:00明日一番の指導のため早めに帰る。
それにしてもヨーロッパ人は朝二時ぐらいまで飲んで騒いで、朝8:00スタートの授業
には必ず来ているのでタフネスである。


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